あらすじ
これは、あの世で二度とない体験をした男の話です。
男は一度死んで、あの世に行きました。周りの人にとって、あんな元気な人が突然死ぬなんて思いもよらないことでした。しかし、次の日、さらに信じられないことが起こったのです。
男が生き返ったのです。
これは男があの世で見たり、聞いたりしたことです。
私が息を引き取ると、すぐに見知らぬ二人がやって来ました。
一人は老人、一人は子供でした。二人に伴(ともな)われて歩いて行くと、大きな川に着きました。そこには、まばゆいばかりに輝く黄金の橋
が架かっていました。後ろ向きに橋を渡って行くと、今度は大きな城門が見えて来ました。
『ここはどこでしょう。』私は老人に尋ねました。
『ここは地獄の南口です。』と老人は答えました。
すると、今度は剣と槍(やり)を持った八匹の鬼に取り囲まれました。どうやら先の二人から道
案内の役を引き継いだようです。繁華街を歩いて行くと、ついに黄金の城にやって来ました。城
の中では、王冠を戴いているお方(おかた)が黄金の椅子に座っていました。いかめしい顔を私
に向けると、一匹人の鬼がこう言いました。
『閻魔(えんま)大王の面前である。頭(ず)が高い!』と。
私は閻魔様の足下にひれ伏しました。
『お前をここに連れてきたのは、お前の妻が泣いて、わしに直訴したからである。』と閻魔様は
おごそかに言いました。そして女をすぐ連れて来るよう、鬼に命じました。鬼は頭を下げて出て
行くと、すぐ女を連れて戻ってきました。確かに亡くなった妻でした。
妻の体には、頭から爪先(つまさき)まで無数の釘が打ち込まれており、手と足は太い針金で縛
られていました。
『この女を知っておるな。』と閻魔様は尋ねました。
『知っています。前世では、私の妻でした。』と私は答えました。
『それでは、お前がここに来ることになった罪はわかるな。』
『いえ、わかりません。』と私は首を振りました。
閻魔様は同じ質問を妻にもしました。
『知っていますとも。』と妻は腹立たしげに答えて、
『夫は格別の理由もないのに私を家から追い出しました。納得が行かないので、閻魔様に、夫を
地獄に落としてくれ、とお願いしました。』と続けました。
閻魔様は分厚い閻魔帳を出してしばらく調べると、私にこう言いました。
『なぜ女が理由もなく追い出されたのか不明であった。そこで、今回改めて調べてみると、お前
にはそれなりの理由があることがわかった。お前には罪がない。現世に戻ってよかろう。だが、
くれぐれも、ここで見たり、聞いたりしたことは秘密にしてもらわなければならない。地獄のこ
とは断じて話してはならぬ。誓えるか。ところで、お前の父親に会いたければ北地獄に行くがよ
かろう。』と。
『閻魔様、ありがとうございます。公平なるお裁きまことに恐縮です。地獄のことは誰にも話し
ません。誓います!』
私は閻魔様にお礼を言って、北に向かいました。そこでは、父親が灼熱の柱を背に立っていまし
た。父親の体には、三十七本の釘が打ち込まれていました。その上、毎日、朝、昼、晩にそれぞ
れ三百回ずつ合計毎日九百回鉄のむちで打たれる、と話してくれました。
私は、地獄の責め苦に遭っている父親の姿を目(ま)の当たりにして、思わず叫んでしまいまし
た。
『父さん!こんなふうに地獄の責め苦に遭っているなんて考えても見なかった。』と
父親は苦しそうに私に言いました。
『息子よ、なぜこんな苦しみを味わっているかわかるか。俺は、家族を養うために、動物や虫け
らさえも殺した。金を手に入れるために人をだました。人から物も盗んだ。親の面倒も見なかっ
たし、年寄りを敬わなかった。さらに、貧乏人を軽蔑し、一段と低く見てきた。積もり積もった
三十七の罪で、釘を打ち込まれ、毎日鉄のむちで九百回打たれる。ああ!絶え難き痛さだ!いつ
になればこの罪が許されるのか。いつになればこの苦しみから逃れられるのか。万が一、お前が
家に帰るのを許されることがあれば、お前には仏像を彫り、経を写し、俺の罪を償ってもらいた
い。頼んだぞ。』と。
『さらに耐え難いのは飢餓地獄だ。ここに来て三年間というもの、何も口にすることができなか
った。三年前の七夕の日(七月七日)、蛇に変身してお供え物を食べに家に行ったが、お前は俺
を見つけると、棒で持ち上げて、外に投げ出した。二年前の端午の節句(五月五日)には、犬に
なってお前の家に行ったが、何と、入り口でお前に蹴っ飛ばされた。その時も何も食べられなか
った。今年の元旦には、ねずみになって家に入った。今度は、三年ぶりに口一杯にお供え物をほ
うばることができた。やっとのことでこの三年間の飢餓状態から抜け出すことができた。困って
いる人に米一升の施しをすれば、お前は地獄で三十日分の食べ物にありつける。困った人に着物
を一着やれば、ここで一年間、着るものの心配をしなくてよい。経を読んで、仏像を彫り、殺生
を慎めば、天国に行ける。』と。
黄金の橋に戻る途中、門番は私を押し止めて(おしとどめて)、こう言いました。
『この門からは出られん。一度門をくぐって、この世に入った者は、何人たりとも生きて帰るこ
とは相成らん。』と。
途方に暮れて茫然と立ちつくし、これからも地獄をさまよい続けるのかなと思いました。家に帰
りたいので、この門をもう一度通してくれるようにと、何度も何度も門番に頼みました。すると、
あの子供、私を地獄に案内してくれたあの二人のうちの一人が、何処からとなく現れました。門
番と私を見て、子供は、門の戸を開けるようにと門番に頼みました。門番はしぶしぶ承諾し、小
さなくぐり戸を指し示しました。
『こちらへ!』と子供は私を呼ぶと、くぐり戸を指差しました。
『あなたさまは一体どなたなのです。』と尋ねると、
『私は、観音経です。小さい時、写経したのを覚えていますか。』と答えました。
くぐり戸を開けると、『急いで!』と言って私の背中をポンと押し、戸を閉めました。
そしてこの世に戻って来たのです。
父親が地獄で受けている罪を思い、父親の苦しみをいくらかでも減らそうと、早速仏像を彫り、
写経を始めました。日本霊異記より
















































