
たとえ仲がよく、親しい間柄であっても、あまり相手のことに干渉し過ぎてはならない。それはかえって相手の自由を束縛し、プライバシーを侵すことになり、結果として不和を招く原因となる。だから、相手のことにあまり口をはさむことなく、相手の自由を尊重しなければならない。これは男女の仲についても当てはまる。

堅い友情で結ばれた交わりのこと。

「松かさ」という松ぼっくりが年を重ねることで大きく成長するのに対し、年齢を重ねることが大切であるという意味を持っています。つまり、経験や年齢がもたらす知恵や成熟の重要性を強調するものです。
人は歳を重ねることでより深い理解や洞察を得ることができ、それが人生において大きな価値を持つことを示唆しています。そのため、年齢や経験を重んじる姿勢が重要であるとされています。

「燕雀鳳を生まず」ということわざは、平凡なものからは偉大なものが生まれないという意味を持っています。具体的には、燕雀(つばめやすずめのような小鳥)は、鳳凰(ほうおうのような神話に登場する美しい鳥)を生むことはないということを示しており、人や物事の大きさや価値は、その本質や性質によって決まるという教訓を含んでいます。

手に負えず、どうしようもないこと。

酒に酔っぱらって、とりとめのないこと、同じようなことをくどくどと言い続ける様子の形容。「管」は糸繰り車の紡錘に連動して糸を巻きつける軸。その管が立てる音を酔っぱらいの物言いにたとえたもの。

美人は見た目はいいが情が薄く、醜い女ほど愛情が深くて嫉妬心も強い。
転じて、ありがた迷惑なことのたとえにも使う。

欠点や悪事の一部だけを隠して全部隠したと思っていることを皮肉っていう。
キジが草むらの中に首だけ突っ込んで尾が外に出ているのに気づかない様子からいわれる。

いったん衰えたものが再び栄えること。

人が生きるのは物質的なものだけではなく、精神的な支えが必要だということ。

英雄といわれる人物は精力的な行動をするもの。
女性を求めることに関しても同様ということ。

言葉にしなくても、目の表情で相手に気持ちが伝わるということ。

身内のごたごたは人にみせるなという意。

忠告の言葉は素直に聞きづらいが、自分の役に立つということ。

易では陰暦五月から「陰」の気が生じて「陽」が消えていくが、それが十月に極まり、十一月から「陽」が増えて「陰」が減りはじめる。従って、冬が去って春が来ることをいい、転じて苦難の時代を経て明るい前途が開ける意味に使う。

眠っているふりをすること。

化粧や衣服などで人の容姿はどのようにでもつくることができるということ。

1.他人に情けをかけることは、その人のためばかりではなくて、いずれは巡り巡って自分にも返ってくるから、自分のためでもある。だから積極的に親切を心がけるべきであるということ。
2.(誤用)他人に情けをかけると、その人が他人に頼る癖をつけてしまうので、必要以上に情けをかけるなということ。

一時の感情や安易な同情による手助けは、かえってためにならない。あとになって害になることがあるということ。

見識の浅い、中身のない人間ほど知りもしないことを得意になってしゃべることのたとえ。
空いた樽をたたくと高い音を立てることから。

口で言うのはたやすいが、それを行動にするのはむずかしい。

自分が好意を示せば、相手も同じように好意を持つものだ。
相手次第でこちらもそれに応じる用意があるということ。

どんな名医の言うことでも、患者が信頼して従わなければ病気は治らないということ。そこから、相手を信用しなければ物事はうまくいかないというたとえ。

一度は年をとって衰え弱ったものが、再び取り戻すこと。

けんかや口論をしているときに上手に仲裁してくれる人が現れると、双方の面目が立ってその場がおさまりやすい。氏神様と同じで仲裁人はありがたいものだから、調停には従ったほうがよいということ。

味がよくない、まずいものにかぎって、煮ると量が増えるということ。つまらないものにかぎって量が多いというたとえ。

始めは威勢がよいが、しだいに勢いがなくなりみじめな結果になること。

人が過ちを犯すことはやむを得ないが、過ちと気づいたらすぐに改めるべきで、改めようとしないことこそ真の過ちというものであるという教え。

鋭いいがに覆われている栗は、熟せば自然にはじけて実が出てくる。女性も年ごろになると自然ときれいになり、色気づくということ。いがに刺されないためには自然に割れるのを待つのが賢明、という意味も含む。

親が死んでからでは孝養はつくせないから、生きているうちに孝行せよとの教え。

冷たい石の上でも三年座っていれば暖かくなるように、つらいことでも辛抱して努力すれば必ず報われるという教え。

真面目で義理がたい律義者は酒色にふけらず、夫婦仲が円満なので、自然に子どもがたくさん生まれるという意味。

鮑は片貝(一枚貝)であることから、片思いにかけて、相手を思うだけで相手は何とも思ってくれないたとえ。

痛い所にさらに針を刺す意で、悪い出来事が重なるたとえ。

人に言えない辛いことなどは、穴を掘ってその中で思いきり吐き出せば気持ちが楽になるということ。

人はだれでも、その人なりの意地や考えをもっているものだから、どんなに小さい弱い者でも軽視できないことのたとえ。また、自分の意地などを示すときにいうことば。

たかが一銭、と金をおろそかにする者は、いずれその一銭がなくて泣くはめになるということ。たとえ少額であっても金銭は大事にしなくてはならない、という戒め。また、節約や貯蓄を勧める言葉。

自分の狭い見識や知織にとらわれて、ほかに広い世界のあることを知らずに得々としているたとえ。狭量で世間知らずな人間を指していうことが多い。

親にとっては、愚かな子ほどふびんに思えて、可愛い気持ちが強いものだということ。

いったん口から出た言葉は取り消すことができないので、注意して発言すべきということ。