声が聞こえる
こえがきこえる

2025/3/26(水)

あらすじ

中村保は、一流の医師として人々の命を救う一方で、誰にも打ち明けられぬ重いストレスと孤独に苦しんでいた。ある薄暗い夜、心の奥底に渦巻く絶望を解消すべく、彼は普段利用しているコンビニへと向かう。不意に目に留まった一本のはさみ。その冷たい輝きは、彼にとって変革の象徴のように映ったのだ。

衝動に駆られた保は、ためらいもなくはさみを手に取り、万引きを敢行する。しかし、運命は容赦なく動き出す。万引きが露見した瞬間、店員との激しい揉み合いが始まり、混沌の中ではさみは宙を舞い、店員の胸に深い傷を刻んでしまった。恐怖と罪悪感に襲われた保は、動悸とともにその場を後にし、必死で病院へ逃げ込む。

病院の冷たい廊下を駆け抜ける中、彼の耳には不思議な声が重なって聞こえてきた。『助けて……』と低く、切実な声。その声は次第に自分自身の内面から響いているかのように感じられ、彼の心にさらなる混乱と恐怖を植え付けた。診察室の鏡に映る自分の顔を見たとき、血に染まった虚ろな瞳がそこにあった。その瞬間、保は理解した。あの夜、店員を刺したはさみの暴走だけではなく、自らの存在までもが、狂気に飲み込まれていたのだと。

現実と幻の狭間で、彼はふと気づく。病院の廊下を駆け抜ける足取りは、実は生を求めるものではなく、冷たい死の境界を彷徨う幽霊のものだった。全身に走る痛みと、虚ろな視界。保は、自分があの激しい衝突の中で命を落としていたことを、痛恨とともに認めざるを得なかった。耳に響く不気味な声こそが、自らの罪と絶望の残響であり、逃げ込んだ病院は死後の世界への入り口であったのだ。

こうして、中村保は永遠に現実と幻の狭間で彷徨う存在となった。あの一夜の衝動と、取り返しのつかない惨劇が、生と死の境界を曖昧にし、彼自身の存在を幻想へと変えてしまった。真実は、皮肉にも彼自身が生み出した最後の幻影として、今も冷たい病院の廊下に静かに漂い続けている。


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