あらすじ
江戸時代、二八(にはち)そば屋と言うのがあちこちにありました。
なぜ二八そばかと言うと、そば一杯が(二八の)十六文だったからです。
ある晩のことです。そば屋が屋台を道端に止め、客を待っていました。
そこへ一人の男がやって来ました。
「おい、そば屋。」
「ヘーイ。いらっしゃい。」
「何ができる?おっ、花まき(焼き海苔をもんでそばにふりかけ
たもの)に、しっぽく(具がおかめの面のようなかたちでそばに
のっているもの)か?しっぽくをもらおうかな。寒いな。こんな日は熱いもんで体を温めるに限
る。」
「かしこまりました。」
「商(あきな)いはどうだい?」
「ぱっとしませんね。」
「そうかい?そりゃいいや。」
「え?ぱっとしないと言ったんですが。」
「それがいいんだ。運がよけりゃ、運が悪くなる。運が悪けりゃ、運がよくなる。世の中そんな
もんだよ。気を落としなさんな。商いと言って、あきないでやることだな。」
「うまいことおっしゃいますね。覚えておきます。」
「おっ、行灯(あんどん)だね。いい屋号(やごう)がついてるな。的にあたり矢か。今晩は一
稼ぎするぜ。この屋号を見たからついてるぞ。そばは大好きだ。この屋号を見たら、また来るぜ。」
「ありがとうございます。どうもお待ちどうさまで。」
「おっ、もうできたかい。そば屋はこうでなきゃだめだな。わしら気が短いから、遅いとぶつぶ
つ言いたくなる。それでも出てこないと、もう食べる気がしなくなる。」
こんな調子で男はしゃべりまくります。
「おっ、割り箸だね。気に入った。たいていのそば屋は割ってある箸だ。人が使った箸は嫌だね。
特に先がぬれてるやつは、ご免だね!ここはいい・・・(男はそばをフウフウしながら食べ始め
る。)いいどんぶりだね。いいどんぶりだと食欲が増すね。中身がうまそうに見えるぜ。この辺
で、こんな上等などんぶりを使っているところはなかなかないぜ・・・いい匂いだ。汁(つゆ)
にかつおぶしをいっぱい使ってるね。これだけの汁を作るのは大変だろ。この味を出すのは大し
たものだ。二八そばは塩っ辛いのが多いが・・・あちこちで食べてるが・・・ところが・・・う
ん、この麺は細いね。いいね。麺は細くなくちゃだめだ。時々うどんのように太いそばがあるが、
めしの代わりにそばを食うわけじゃないから、麺は細くなくちゃだめだ。太いやつは嫌だね・・・
こんなうまいそばは初めてだね。おっ、お世辞を言うわけじゃないが・・・うっ、ちくわが厚い
ね。こんな厚いちくわを出して、もうけはあるんかい?大丈夫?そうかい。おっと、どこかでち
くわを麩でごまかしたそば食ったな。嫌だね。あれは病人用だぜ。ここは本物だ・・・うん、う
まい。ぶっちゃけた話、ここのそばはうまい。けどな、他所(よそ)でまずいそばを食った口直
しに寄ったんだ。一杯で勘弁してくれ。ごめん。」
「いいんですよ。」
「いくらだい?」
「ええと、具入りで、十六文です。」
「銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、手をだしてくんねえ。」
「へい。これに願います。」
「十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻(なんどき)だ
い?」
「エー、ここのつ(九刻)で。」
「とお、十一、十二、十三、十四、十五、十六・・・じゃ、あばよー。」
男は立ち去りました。
さて、どこか間の抜けた江戸っ子が、屋台のかたわらで一部始終を見ていました。
「あの野郎!よく喋ったね。そば屋に向かって最初から最後まで喋っていたね。黙ってそばを食
えねえのかい。」男は思いました。
「あの野郎、こう言ったね。『おい、そば屋。寒いな。』寒いのはそば屋のせいじゃないぜ。『商
(あきな)いはどうだい?』
『ぱっとしませんね。』ときた。
『そうかい?そりゃいいや。』
『え?パッとしないと言ったんだんですが。』
『それがいいんだ。運がよけりゃ、運が悪くなる。運が悪けりゃ、運がよくなる。世の中そんな
もんだよ。商いと言って、あきないでやることだな。』きざだね。『おっ、行灯(あんどん)だ
ね。屋号がいいね。的に矢か。今晩は一稼ぎするぜ。この屋号を見たからついてるぞ。』ついて
るか?そうは見えねえな。話がうますぎる。割り箸だとか。いいどんぶりだとか。いい汁だとか。
ちくわが厚いとか・・・好きなことしゃべって食い逃げするかと思ったらちゃんと勘定払った。
食い逃げでもしようものなら、お説教と思ったが。確かに払った。畜生!面白くねえ・・・あの
野郎、こう言ったな。『いくらだい?』なんで値段を聞いたんだ。そば一杯一六文に決まってる
じゃねえか。『銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、手をだしてくんねえ。』あの数え方・・・
子どもじゃあるまいし。
『十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?」
『エー、ここのつで。』『とお、十一、十二、十三、十四・・・』おかしいぞ!あの野郎、あ
そこで時刻(とき)を聞いたな。なぜだ。何で勘定の途中で時刻を聞いたんだ?俺だったら間違
えるな。実におかしい。『いくらだい?』『十六文』『ひー、ふうー、みー、よー、いつ、む
ー、なな、やー、何刻だい?』『エー、ここのつで。』『とお、十一、十二・・・』なんだって
あそこで時刻を聞いたんだ。待てよ。『いくらだい?』『十六文』『ひー、ふうー、みー、よ
ー、いつ、むー、なな、やー、何刻(なんどき)だい?』『エー、ここのつで。』『とお・・・』
とお!十(とお)じゃねい。ほら、まちがえた!『とお、十一、十二、十三、十四、十五、十六・・・』
ひとつ少なく数えたな。一文ごまかしたな。ずる賢い野郎だな!そば屋も気がつかねいや。実に
うまくやったな。『いくらだい?』『十六文』『ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、な
な、やー、何刻だい?』『エー、ここのつで。』『とお・・・』ふーん、かんたんじゃねえか。
俺もやってみよう。」
その晩はあいにくこまかいのがなくて次の晩まで待つことにしました。昼間こまかいのを用意し
て、昨晩より早く出かけ、そば屋が来るのを待ちました。
「おい、そば屋。待て。何度も呼んだけど追いつけねえや。何ができるん?おっ、しっぽくに花
まきか?しっぽくをもらおうかな。寒いな。こんな日は熱いもんで体を温めるに限る。」
「いえ、親方。今日は暖かいほうで。」
「うん、なるほど、暖かい。まったく暖かい。昨日は寒かった。」
「そうですね。昨日は寒うござんした。」
「商いはどうだい?」
「おかげさまで。ご贔屓(ひいき)のお客さんもおりまして、商いはうまくいっております。」
「そうかい?・・・ちきしょう、あれが使えねえ・・・でも、いいかい、油断しちゃだめだよ。
運がよけりゃ、運が悪くなる。運が悪けりゃ、運がよくなる。世の中そんなもんだよ。気を落と
しなさんな。商いと言って、あきないでやることだな。」
「その通りです。いつも気に留めております。」
「俺の言おうとすることお見通しだな。おっ、行灯(あんどん)だね。いい屋号がついてるな。
的に・・・。違うな。丸に孫か。(丸損)なんて呼ぶんだ。孫屋とか何とかか?そいつはいい。
今晩は一稼ぎ、この屋号を見たから今晩は取られちゃうかな。気にするな・・・。わしら気が短
いからな、たのんだもんは早くなくちゃいけねえ・・・そうじゃねえと・・・まあいいか。江戸
っ子は待てねえ、でも俺は違うぞ。待てるぞ。待て・・・る、待て・・・、おい、まだかい?」
「誠に申し訳ございません。あいにくお湯が切れてしまいまして、余分な時間がかかってしまい
ました。はい、おまちどう。」
「よし、来た、来た。おっ、割り箸だね。気に入った。たいていのそば屋は割ってある箸だ。人
が使った箸は嫌だね。特に先がぬれてるやつは。でもここのは・・・ちょい、この箸、もう割っ
てあるぞ!おい・・・まあ、いいか、割る手間が省けて。どんぶりがよくなくっちゃいけねえな。
いいどんぶりだと食欲が増すね。中身がうまそうに見える。この辺で、こんな・・・どんぶりを
使っているところはなかなかないぜ。おい!きたねえな。ひびだらけだ。よくそばがこぼれねえ
もんだな?まあ、いい、そばがよけりゃ。いい匂いだ。汁にかつおぶしをいっぱい使ってるね。
きっと。(汁をすする。吐き出したくなるが、我慢する。)お湯を足してくれ。めずらしい味が
する。塩っぱいのは食べたことがあるが、これは苦いよ・・・良薬口に苦しか。体にいいか・・・
麺は細くなくちゃだめだ。時々うどんのように太いそばがあるが、めしの代わりにそばを食うわ
けじゃないんだから、麺は細くなくちゃだめだ。太いやつは嫌だね・・・おい、これは太いぞ。
うどんと違うか。え?これがそば?いいだろ、いいだろ。そばがむくんだみてえだ。きっとこの
そば、脚気(かっけ)をわずらってんだ。気にしない、気にしない。よし気晴らしに食べてやる
ぞ。しかし、ぐにゃぐにゃだね!まるでそばのおじやだぜ。なんでえ、これは!・・・おいら、
胃弱だからな。おいらの胃にいいだろうよ。おっと、ちくわはどこだ?みつからねえぞ。どんぶ
りにちゃんと入れたのか?おっ、あった。薄いね。鉋(かんな)で削ったんじゃねえだろうな。
え?包丁で切った?本当?よくもこんなに薄く切れたね。いつかちくわを麩でごまかしたそば食
ったが。嫌だね。おっ、なんだ!ちくわじゃねえぞ、麩だ。信じられねえ・・・(食べ終わる)
えい、いくらだい?」
「ええと、具が入って、十六文です。」
「銭が細けえんだ。お前さんの手におくから、手をだしてくんねえ。」
「へい。これに願います。」
「十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?」
「へー、四刻(よつ)で。」
「いつ、むー、なな、やー、ここのつ・・・」
あれ・・・余計に払ってるぞ!










